Because I said so.

Because I said so.

この言葉を初めてアメリカで聞いた時は私は正直、驚きました。

もちろんビジネスシーンではなく、外で母親が子供に指図をしていて、子供がどうしてそうしないといけないの?と嫌がっている時に母親が子供へこの言葉を使っていました。

なんて理不尽な言い方と思いました。そして、なんでこんなところにBecauseを使うのかと。

日本語に訳すと直訳は「私がそう言ったから(やらないといけないの)よ」

ですが、日本で使われているもう少し自然な日本語に訳したら

「つべこべ言わず(やってちょうだい)」

というのが近いのではと思います。

人によるのかもしれませんが、日本の母親よりアメリカの母親はずっと高圧的なのかもしれません。

それから、日本ではよく子供に対して「言い訳はよしなさい」と言いますが、アメリカでは”ちゃんと説明しなさい”と全く逆です。これはアメリカの方が論理的ですね。

Becauseといえば済む話ではないですが、アメリカの子供は小さい時からBecauseで叱られ、Becauseで言い訳をするのに慣れていますが、日本人は”言い訳はするな”で育てられると、反論せず、すぐ謝ってしまうのかもしれません。

日本人は謝らなくてもよい時でも、言い訳をすることが良くないことと小さいころから刷り込まれていて、すぐに謝ってしまうのかもしれません。

Because I said so はあまりにも高圧的な言葉ではありますが、それでもBecauseをつけて説明している訳です。

どんなに理不尽でも常にBecauseで叱られ、Bacauseで言い訳をする習慣を小さい頃から身につけるのは、今後日本人が海外でもっとビジネスをしてゆく上で必要かもしれません。

又、今起きていることの根本原因を考え、常にWhyを持って物事を考える習慣も日本人は持つ必要があるのではないでしょうか?

日本のテレビではトランプ元大統領はこう言っているとか、バイデン大統領はこう言っているとは言いますが、どうしてそう言っているのか、何故この事態が起きているのか、原因についてとことん掘り下げた議論はほとんどしていません。

原因を深く考えずに、常にその場の対処方法を考えるのは現実的かもしれませんが、根本原因がわからないままでは、同じことが繰り返されてしまう恐れもあります。

ロシアがウクライナへ侵攻したことは勿論、良くないことですが、何故ロシアはウクライナへ侵攻したのでしょう?

ウクライナがNATOに加盟するとNATO加盟国はロシアと戦争になるので、元々ウクライナはNATOに加入できないとわかっていたのに、アメリカのバイデン大統領は何故、ウクライナがNATOに加盟するのは自由だと言ったのでしよう?

1989年にベルリンの壁が崩壊して、東西冷戦が終結し、ロシア側のワルシャワ条約機構は解散したのに、何故、NATOは解散せずにその後ずっと拡大しているのでしようか?

私の知り合いのアメリカ人はCovid-19の直後にCovid-20, Covid-21, Covid-22, Covid-23を心配していましたが、とことん原因を突き止めることをしない限り、同じことが再発してしまうと考える方がLogicalではないでしょうか。

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交渉術について

今日は交渉術について書くことにします。以前勝海舟についてブログに書いたことの再掲ですが、改めて見直しました。

勝海舟と言えば、江戸城の無血開城を西郷隆盛と交渉して実現した人物として有名ですね。

ところで、皆さん、彼が交渉を始める前に必ずする、ある行為のことをご存知でしょうか?

これは彼の自叙伝である氷川清話にも他の本にも書かれています。

勝は交渉の依頼を受けた時、それを受ける前に必ずこう言うのです。

私がこの交渉事を受ける前に、一つ約束して下さい。私に交渉の全権をお与え下さい。そして、交渉が始まった後、途中で口出しはしないで下さい。その代わり私は交渉の結果の最終責任をとります。この条件をのんで頂けないならお断りします。

現代の政治家でも、ビジネスマンでもこんなことを明確に言える方はいるでしょうか?

多くの場合、こんな大胆なことを言えず、交渉が始まった後、後からいろいろ指示が上司や関係部門から出てきて、場合によっては背中に味方から矢が飛んできて、前に進めなくなり、板挟みとなり、身動きできなくなったケースを私はたくさん見てきました。

私も勝先生(私にとってはMentorですのでここではそう呼ばせて頂きます)の様に、交渉事を始める前に、『私を信用して、私に一任下さい。全責任は取りますから、交渉の途中で口出しはしないで下さい。この条件を受けて頂けるなら、お受けいたします』

こんなカッコいいことを言ってみたいといつも思います。

しかし、こんな言い方、私はとてもできませんし、こんなことを言える方も、実際に言っている方も現代ではあまり聞きませんね。

当時、勝海舟がこれを出来たのは、実績と自信、そして絶大なる信頼を皆から勝ち得ていたからだと思います。

西郷隆盛との江戸開城交渉でも、勝海舟はこの条件を幕府に飲ませてから交渉に臨みました。

当時、幕府にはまだ軍艦もありましたし、徹底交戦派もいた訳ですから、それらの意見を全て聞いていたら前には進みません。

他の人間が交渉を担当していたら、幕府の複数の人間の意見を調整しながら前に進んでいたら、西郷隆盛は江戸へ攻め込んでいたのではないでしょうか。

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サピエンス全史を読んで

ユヴァル・ノア・ハラリの著書『サピエンス全史』を読みました。

読み始めると、どんどん引き込まれる大変興味深い著作でした。

この著者は歴史学者で、非常に見事な語り口で人類の過去の歴史を振り返っていますが、下巻の後半では未来学者と言ってもよい予言をしています。

歴史を振り返るだけでなく、これからの人類はどうなってゆくかについても多くの示唆をしている著作です。皆さんに是非、一読をお勧めします。

この本の下巻に私の心にずつと残った大変興味深いアメリカの宇宙飛行士とアメリカ先住民との出会いの物語、伝説がありますのでご紹介します。

1969年7月20日、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンが月面に着陸した。

この月探検までの数か月間、アポロ11号の宇宙飛行士たちは、アメリカ西部にある、環境が月に似た辺境の砂漠で訓練を受けた。

その地域には、昔からいくつかのアメリカ先住民のコミュニティがあった。

そして、宇宙飛行士たちと先住民のこんな出会いの物語 というよりは伝説 が生まれた。


ある日の訓練中、 宇宙飛行士たちはアメリカ先住民の老人と出会った。老人は彼らに、ここで何をしているのか尋ねた。

宇宙飛行士たちは、近々月探査の旅に出る探検隊だと答えた。

それを聞いた老人はしばらく黙り込み、それから宇宙飛行士に向かって、お願いがあるのだが、と切り出した。


「何でしょう?」と彼らは尋ねた。


「うん、私達の部族の者は月には聖霊が棲むと信じている。私からの大切なメッセージを伝えてもらえないだろうか」と老人は言った。


「どんなメッセージですか?」


老人は部族の言葉で何かを言い、宇宙飛行士たちが正確に暗記するまで、何度も繰り返させた。


「どういう意味があるのですか?」


「ああ、それは言えないな。私らの部族と月の聖霊だけが知ることを許された秘密だから」


宇宙飛行士たちは基地に戻ると、その部族の言葉を話せる人を探しに探して、ついに見つけ出し、その秘密のメッセージを訳すよう頼んだ。

暗記していた言葉を復唱すると、訳を頼まれた者は腹を抱えて笑いだした。

ようやく笑いが収まったとき、宇宙飛行士たちは、どういう意味なのかと尋ねた。彼によれば、宇宙飛行士たちが間違えないように苦心して暗記した一節の意味は次のようなものだった。

「この者たちの言うことは一言も信じてはいけません。あなた方の土地を盗むためにやって来たのです」

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英語の東西南北

英語のEast、West、South、Northには本来の東西南北の意味以外に、ある言葉を添えると特別な意味を持ってくる場合があります。

Back East

これはアメリカ西部の方と話しをしていると決まって出てくる英語表現です。アメリカではBack Eastと言いますと東部の州のことを言います。

私が初めてこの言葉を聞いたとき、アメリカ人に何故、BackをEastの前につけるのか?と聞いたことありますが、自分たちはもとは東から来たからという返事がありました。

一方、アメリカ東部の方はアメリカ西部のことをOut Westと言います。

North of

英語での商談で、金額の話をしているときにNorh of __というと___より上の金額という意味になります。

例えば、 The of cost of the material is a little north of $10,000 といえば,その材料のコストは$10,000より、少し上の金額である。という意味になります。

逆に少し少ない場合は The of cost of the material is a little south of $10,000 といえば、その材料のコストは$10,000より、少し下の金額である。という意味になります。

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Clear the air

clear the air 「誤解を取りのぞく」

Let’s clear the air between us first. 「まずは私達の間にある誤解を取り除きましょう」

ずいぶん前になりますが、このフレーズを最初に聞いたのは来日されたあるアメリカ人のパートナー企業の幹部の方からでした。

その会社との間ではある利害が対立する商談があり、それについての議論が始まった途端、気まずい空気が流れ始めた時、その方の口からこの言葉がでました。

日本人なら言いにくいことは言わずにすまそうとおもいますが、このアメリカ人幹部は非常に率直な方で、このフレーズを言った後、自分の考えをすべて説明し、私達にその理解で正しいか、そうでなければ私達の考えを言って欲しいと言いました。

その結果、両社の間ではお互いに誤解していたことが判明し、お互いのわだかまりがとれて、その後は終始なごやかな雰囲気で打ち合わせは終わりました。

会社、個人との間で誤解が生じている場合、お互い反対意見を正面きって言い合って物別れになることを恐れて言い出さないケースが結構あると思います。


結果的に解決に至らず終わってしまうこともあります。

ビジネスのいろいろな局面では当事者間、会社間で摩擦や、誤解が生じるのはよくあることですが、そんなとき、まずこの言葉を使ってお互い率直に話が始めることができれば素晴らしいと思います。

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世界の王室 Part 10 – トンガ王国

世界で10番目に王室の歴史が長いのはトンガ王国です。

トンガ王室は1845年に戴冠しました初代ジョージ・トゥポウ1世から始まりました。

今の国王は2015年7月4日に戴冠したこの写真のトゥプウ6世です。

トンガ国王の所在地をご存知でしようか?

トンガ王国は日本から約8,000km離れた南太平洋に位置しています。

このブログで最初から述べていました歴史のある王国は島国というストーリーに勿論、あてはまります。

トンガといえば今年初めに海底火山の噴火がありましたね。

噴火が起きた海底火山「フンガ・トンガ フンガ・ハアパイ」はトンガの首都ヌクアロファから北に65キロに位置します。

海底火山の噴火で被害を受けたトンガの国王ツポウ6世に対し、日本から天皇陛下は電報でお見舞いの気持ちを伝えました。陛下はこれまでにトンガを3度訪問しているそうです。

トンガ王室と日本の皇室は戦前から交流を続けてきました。

先の国王ジョージ・トゥポウ5世は大の親日家として知られています。小学校の教育課程にそろばんを導入したり、トンガから日本の角界へ力士を送り出すなど国をあげての親日国です。

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世界の王室 Part 9 – ベルギー

世界で9番目に王室の歴史が長いのはベルギーです。

ベルギーといえば、チョコレートとビールですね。

ベルギーの方のチョコレートに対する想いは並大抵ではないです。日本人と比べて、年間4倍の量を食べているそうです。お気に入りのチョコレート専門店を持っている人も多いそうです。

又、ベルギーの方は大変ビール好きです。ベルギーで飲まれているビールの7割はピルスナービールなのでベルギーのビールと思っている方もいるかもしれませんが、実はピルスナービールの起源はチェコです。

ベルギーは島国ではなく、オランダ、ドイツ、ルクセンブルク、フランスの4か国に囲まれた国です。

ベルギー国は1830年にオランダからの独立を宣言して、成立しました。ベルギー最初の国王はレオポルド1世です。

ベルギーは立憲君主国で君主はベルギー国王(King of Belgium)ではなくベルギー人の王(King of Belgians)と呼ばれています。

今の国王は第7代フィリップ国王で2013年7月21日に即位しました。

ベルギーは1991年に憲法を改正し、女性も王位を継承できるようになりました。

2001年に生まれたエリザベート王女が、ベルギー初の王位継承権を持つプリンセスです。エリザベート王女が予定通り国王になった時にはベルギー初の女王の誕生となります。

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世界の王室 Part 8 – オランダ

世界で8番目に王室の歴史が長いのはオランダです。

オランダ王室の話を始める前に一つ簡単な質問をさせて下さい。

サッカーを始めとするスポーツの国際試合ではHollandではなく、Netherlandsと呼ばれていますがそれは何故でしようか?

下の地図をご覧下さい。Hollandはオランダの12ある州のうち、首都アムステルダムを含む北海に面している北ホラント州とロッテルダムやライデン、ハーグを含む南ホラント州の2つを指す名前からきています。

首都アムステルダムのある北ホラントと南ホラントの2州の経済規模が1番大きいので、通称 Hollandが使われてきたのです。

しかし、オランダ政府は2020年1月1日付で、国名の通称である「Holland(ホラント)」の使用をやめて「the Netherlands(ザ・ネザーランズ)」へ公式に切り替えることを発表しました。国際社会でのオランダのイメージや観光客の流れを管理するためのものだそうです。

さて、本題のオランダ王室について、ご紹介します。

オラニエ=ナッサウ家が現在のオランダ王家のルーツですが、元はドイツ西部のライン地方を発祥とする諸侯の家系であるナッサウ家の支流だったそうです。

今のオランダ王国はウィレム=フレデリックがウィレムⅠ世として即位した1815年に端を発します。

今のオランダ国王ウィレム・アレクサンダーは第7代オランダ国王で、2013年4月30日に即位しました。

マクシマ王妃はアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれたアルゼンチン人です。

1999年、アメリカニューヨークの銀行に勤務していたマクシマは友人主催のパーティーでウィレム王子と出会いました。

その後、2人の交際が公になり、オランダ国内で大きな議論を巻き起こしました。

マクシマの父が、過去に大量虐殺を引き起こしたアルゼンチンの独裁政権ビデラ政権の閣僚であったことが問題視されたのです。

結局、マクシマの父は大量虐殺には一切関与していないことがわかり、ウィレム王子と結婚できることになりました。

二人の間には3人の王女、アマリア王女、アレクシア王女、アリアーネ王女がいます。

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世界の王室 Part 7 – バーレーン

世界で7番目に王室の歴史が長いのはバーレーン王国です。

バーレーン王国は、このブログでご紹介しましたトップ3の長い歴史をもつ日本、デンマーク、英国と同様、島国です。

地図をご覧下さい。アラビア半島沿いに位置するペルシャ湾の40もの島々からなる島国で、日本の奄美大島とほぼ同じ大 きさです。

バーレーン最大の島は南北に48キロ、東西に16キロのバーレーン島で、首都マナマもここにありま す。

バーレーンは紀元前6千年頃までアラビア半島と陸続きだったそうですが、自然の力によって島として分離し たそうです。

バーレーン王国の始まりはカタールに定住していたウトバ族を率いたハリーファ家が1783年にバーレーンへ侵攻したところから始まります。

1783年から1971年まではバーレーンの君主はハキーム、1971年から2002年まではアミール(首長)と呼ばれていました。

2002年に君主のハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファが王制を始めて、自らを初代マリク(国王)となりました。

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世界の王室 Part 6 – タイ王国

世界で6番目に王室の歴史が長いのはタイ王国です。

1782年にラーマ1世から始まった王朝で、アジアの国中では日本とタイだけがTop 10に入っています。

現在のワチラロンコン国王は第10代、ラーマ10世です。

ワチラロンコン国王は4人兄妹の2番目で、姉が一人、妹が二人います。父親は国民から絶大なる信頼を得ていた前国王の故ラーマ9世、母はシリキット王妃。

唯一の男児だったので、王位継承権は必然的にワチラロンコン皇太子殿下へ。幼少期はバンコクで過ごしていましたが、その後はイギリス、オーストラリアで学生時代を過ごしました。

女性関係に少し難があり、現在66歳ですが、4回の結婚、3回の離婚を経験しています。

これは237年続く王朝を振り返って見ても珍しく、父ラーマ9世が国民に愛されるきちんとした人だっただけに、タイの国民からも心配されている様です。

ちなみに2016年10月に前国王のラーマ9世が亡くなり、王位継承を求められた時、ワチラロンコン皇太子殿下は、決意が固まるまで戴冠式は待って欲しいと言って、2年半の時を経て戴冠式を迎えたそうです。

この写真にあるのが2019年に4番目の王妃となったスティダー・ティトチャイさんです。元タイ航空のスチュワーデスで2010年からタイ陸軍に所属する軍人で、2014年より王室警護部隊の副司令官も務めているそうです。

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