世界の王室 Part 5 – スウェーデン

世界で5番目に王室の歴史が長いのはスウェーデンです。

ノーベル賞の授賞式でメダルを授与するスウェーデン国王が属する現在の王室は1818年にはじまったベルナドッテ王朝です。

その開祖は、当時ヨーロッパの覇権を握っていたナポレオン・ボナパルト配下のベルナドッテ将軍です。

ホルシュタイン=ゴットルプ王朝のカール13世に世継ぎがいなかった為、ナポレオンの推薦もあって、カール・ヨハンと改名したベルナドッテ将軍がスウェーデン議会によって同国の王位継承者に選ばれました。

その後、1818年にカール14世ヨハン(兼ノルウェー王カール3世)としてスウェーデン=ノルウェー連合王国の王位につき、ベルナドッテ王朝が開かれました。

カール・ヨハンはフランスからスウェーデンへの圧力をはねかえすため、かつて属したフランスとの戦争を決意し、ライプチッヒ会戦でフランス軍を打ち破り、キール条約でノルウェーの割譲を受け、ノルウェーとの同君連合を実現するなどスウェーデンの強国化に非常に大きな功績がありました。

シルヴィア王妃は、1943年生まれで今年2022年で79歳、スウェーデン国王カール16世グスタフの王妃です。

シルヴィア王妃はドイツで生まれ、ブラジルで育ちました。

スウェーデン出身ではなかったため結婚に際し国民に受け入れられ難かったというエピソードがありますが、今ではスウェーデン語を流暢に話し、スウェーデン国民に広く愛されています。6ヶ国後を話し、手話もできるそうです。

1980年にスウェーデンは王位継承制度を変えました。

それまでは王位を継ぐのは日本同様、長男と法律で決まっていましたが、ジェンダーに関わらず長子が継ぐと改正しました。

今ではイギリス、ベルギーやオランダ、ノルウェーなど長子を優先にする王室は他にもありますが、スウェーデンはその中でも一番早かったそうです。

スウェーデンの歌手ABBAは世界的に大ヒットすることになったDancing Qeenをグスタフ国王、シルヴィア王妃の前で初めて披露しました。

これにより、スウェーデン中でABBAは広く認められ、今では世界的で知らない者はいないグループとなりました。

下の埋め込み動画をご視聴下さい。その時の映像がこれです。国王陛下の面前で歌うのでABBAも素晴らしい宮廷衣装を身にまとっています。最後にグスタフ国王とシルヴィア王妃に深々と一礼をしています。

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世界の王室 Part 4 – スペイン

世界で4番目に王室の歴史が長いのはスペインです。

スペインでは1931年に一度共和制が成立しましたが1975年に王制が復活しました。

国王はフランス王家の支流ブルボン家の直系です。

2014年には スペイン国王ファン・カルロス1世が退位、新国王フェリペ6世が46歳で即位しました。

実は私はフェリペ6世とスペインで遭遇したことがあります。

それは2018年にスペインのバルセロナで開催されていたモバイルワールドコングレスMWC2018という展示会の会場でした。

私は基本は自社のブース対応でずっと同じ場所に張り付いていたのですが、休み時間にたまたま展示会場を歩いていると、大きな人だかりがあり、何かな?と野次馬となって見に行ったら、なんとそのひとだかりの中心にスペイン国王フェリペ6世がいました。その展示会の視察でバルセロナを訪問されていた様です。

これがその時の写真です。この写真の中央右に群集の中で頭一つ出ている長身の方がフェリペ6世です。

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世界の王室 Part 3 – 英国

世界で3番目の長さを誇る王室を持っているのは英国です。

今のエリザベス女王は正確にはエリザベス2世Elizabeth the Secondといいます。

1926年4月21日、ヨーク公アルバート王子(後のジョージ6世)とエリザベス妃(後のエリザベス王妃)の間に長女として出生しました。

1952年2月6日、25歳の時に女王になられたので、今年2022年で在位70年となりました。

今の英王室は1066年フランスから上陸したノルマンディー公ウィリアムが創設したノルマン王国から始まりました。実は最初はフランスから来た王室なのです。

その為、英王室では当初フランス語が話されていました。

英語が使われ始めたのは1272年即位のエドワード1世の時代からです。

英王室は1688年名誉革命で絶対王政からいち早く「君臨すれども統治せず」の近代的立憲君主制へと移行しました。これは日本もそうですね。

英国の女王は、英連邦王国に属するすべての国の国家元首も兼ねています。

英連邦王国に属するのは次の国々です。これの国々はコモンウェルスCommon Wealthと呼ばれています。

英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、ジャマイカ、バルバドス、バハマ、グレナダ、パプアニューギニア、ソロモン諸島、ツバル、セントビンセント・グレナディーン

イギリス国王はコモンウェルス諸国の自由な結合の象徴です。

イギリス国王はコモンウェルス諸国において、首長という特別の地位がありますが、首長は元首ではなく、自由な結合の象徴です。

私はカナダに住んでいたことがありますが、これら英連邦の国々のお札にはエリザベス女王の顔写真が印刷されています。

又、学校にはエリザベス女王の顔写真の入った額が飾られていました。

イギリス王室のメンバーへの呼称は決まっていて次の通りです。

His Majesty – 男王

Her Majesty – 女王、男王の妻

His Royal Highness – 王子、国王の息子、国王の息子の息子、ウェールズ公の長男の長男

Her Royal Highness – 王女、国王の娘、国王の息子の娘、王子の妃

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世界の王室 Part 2 – デンマーク

世界で日本に次ぎ2位、欧州においては最も古い王室はデンマークです。

ゴーム王(936~958年)が初代デンマーク国王で、現在54代のマルグレーテ2世が在位しています。

マルグレーテ2世は1947年にデンマーク国王に即位しましたが、彼女は前国王フレゼリク9世の第一王女(第1子)で、母は海を隔てたお隣のスウェーデン王女のイングリッド王妃です。

北欧史は大きく言えば、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンをあわせたカルマル同盟、デンマークを盟主とする欧州最大の3か国連合王国からスウェーデン、ノルウェーが独立へ向かう歴史です。

その都度、撤退を迫られながらもしぶとく生き永らえたのがデンマーク王室です。

下の地図をご覧下さい。デンマークは半島ですが、首都コペンハーゲンは島の中にあります。実はNo.2のデンマークもNo.1の日本、No.の3のイギリス同様、首都は島にあるのです。

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世界の王室 Part 1 – 日本

今日から歴史の長い王室トップ10をご紹介していきたいと思います。

皆さん、世界の国の中で歴史の長い王室を持つのはどこの国だと思いますか?

No.1は日本、No.2はデンマーク、No.3はイギリス、No.4はスペイン、そしてNo.5はスウェーデンです。

何故、これらの国は長い間、王室を維持でしたのでしようか?

これには地政学的な理由がまずあります。

No.1の日本は島国ですが、No.2からNo.5の国の位置を下の地図でご覧下さい。

No.2のデンマークは半島。No.3のイギリスは日本と同じ島国、No.4とNo.5のスペインとスウェーデンもよく見ると大きな半島の端にあります。海に守られていたのです。

まず日本ですが、日本の皇室はギネス世界記録でも認定されていますが、世界で一番古い王室です。

上記しましたランキングの表では125代の昭和天皇までがリストアップされていますが今上陛下は第126代目の天皇です。

又、世界でただ一人皇帝(エンペラー)と呼ばれているのは天皇だけです。

世界には26もの王室があり、kingと呼ばれる王がほとんどですが、日本の天皇だけが皇帝と呼ばれていて、天皇の英語訳もemperorのみです。

皇帝という称号は非常に古く、ローマ帝国や中国王朝の中で用いられていた呼び方です。

そんな中、日本を訪れる欧米人は、17世紀の中程から天皇を皇帝(エンペラー)と認識し、当時の記録にも残しています。

1846年に樹立された「大日本帝国」の君主として、皇帝と呼ばれた訳ではなく、それ以前から欧米人は天皇を「皇帝」と呼んでいました。

もともと天皇という名称は、中国などの諸外国向けに作られた漢語で、一般の民衆には明治時代以降に定着しました。

それまで天皇は大王(おおきみ)とか内裏(だいり)、あるいは御門(みかど)と呼ばれていました。

天皇は明治国家の新体制が出来た時に一般の民衆に向けて流布した呼び名です。

織田信長に仕えた有名な宣教師ルイス・フロイスは当時天皇の名前をDairiと記録していたそうです。

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Concedeの意味

北京オリンピックでの日本カーリング女子チームの活躍が素晴らしかったですね。

カーリングの試合で相手に勝ちを譲るとき、コンシード(concede)という耳慣れない言葉を聞いたと思います。

ビジネス交渉では譲歩することをconcessionと言いますがconcedeとconcessionは同じ語源ですね。

何故、カーリングではギブアップではなく、コンシードという言葉を使うのでしよう。カーリングというスポーツの起源を考えるとわかります。

カーリングはもともと15世紀のスコットランドが発祥とされ、初期は上流階級が楽しんだそうです。

貴族社会のスポーツだったがゆえ、自分たちのプライドを守るため

「精一杯いっぱい戦ったが、相手が素晴らしかったから今回は勝ちを譲る」

これを、give upではなく、concedeと呼び、相手に握手を求める上品なカーリングの作法が始まったそうです。

私は昔カナダトロントに住んでいた時に誘われて一度だけカーリングをしたことがあります。

最初は氷の床掃除をしている様なずいぶん地味なスポーツだと思いましたが「氷上のチェス」とも呼ばれる頭を使う、実は奥が深いスポーツであることを知りました。

カーリングをした翌日、ひどく肩がこっていたことを覚えています。知らず知らずに肩を使っていたんですね。

2月17日 日本カーリング女子、4年前の平昌オリンピックに続き、準決勝へ進出、そして銀メダル獲得おめでとうございます㊗️

ところで、皆さん、日本は平昌、北京と2度の冬季オリンピックでスウェーデンに救われたことをご存知でしょうか?

北京オリンピックではスイスに負けたわずか20分後にスウェーデンが韓国に勝利したことで日本は準決勝進出が決まりましたね。

実は4年前、平昌オリンピックの時も日本が最終戦でスイスに敗北しましたが、スウェーデンの勝利に助けられる形で準決勝へと進みました。

そして、2月18日 北京オリンピック準決勝では今回のオリンピックで一度負けていた強豪スイスに何と8-6で勝利❗️ドラマをみせてくれました。

2月20日の決勝では残念ながら3-10でイギリスに負けはしましたが、日本カーリング女子初の銀メダルです❗️おめでとうございます㊗️

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WFHは何の略?

WFHとは何の略でしょうか?

Work From Homeです。

in WFH mode で「在宅勤務中」という意味となります。

日本ではテレワークですが英語圏ではremote work、work from home と言います。

Are you working from home ?

「在宅勤務ですか?」

Yes, we’re still in WFH mode.

「はい、まだ在宅勤務中です」

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Holy Grailの意味

Holy Grail とは文字通りの意味はこの写真の「聖杯」です。

聖杯とはキリスト教の儀式である聖餐キリスト教の聖遺物のひとつで、最後の晩餐に使われたとされる杯のことをいいます。

インディージョーンズの映画にも出てきますね。

一方で、ビジネス会話では「究極の目標、困難な探究の対象」という意味で使われます。

皆さん、マイクロソフトの創業者のビルゲイツは大変な読書家であることをご存知かもしれませんが、読んだ本の宣伝をしています。

ご興味のある方は以下のURLをご覧になって下さい。

https://www.linkedin.com/posts/williamhgates_the-crispr-gene-editing-system-is-one-of-activity-6884236237146849281-Z_9Y

DNAに関する本の紹介をしていますが、その中で、「困難な探究の対象」という意味でHoly Grailという言葉が使われています。

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ケルト人とは?Part 5 (ケルト文化と日本文化)

新年あけましておめでとうございます。今年が皆さんにとって素晴らしい年になります様、祈念します。本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

年越しとなりましたが、昨年書き始めましたケルト人とは?のブログPart 5をアップします。

ケルト文化と日本文化にはいくつかの共通点があります。今日はそれについて書かせて頂きます。

(1) 多神教

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教とは異なり、日本とケルト文化は、いずれも元々は多神教の文化です。

ケルト文化に妖精という最下層の神様がいるのは皆さんご存知と思います。ピーターパンの話に出てくるテインカーベルがその代表ですね。

ロードオブザリングやハリーポッターの映画をご覧になった方は、映画の中に出てくる妖精たちもご存知だと思います。ケルトにとっては神様は一つではなかった訳です。

(2) 一神教の伝来とその受け止め方

カトリックや仏教は、後からそれぞれ、アイルランド、日本へ外部からもたらされた宗教でした。

アイルランドにカトリックが入ってきたのは432年。アイルランド人にカトリックを布教したのは聖パトリックで、布教に当たりケルトのケルト土着の宗教とカトリックを融合させ、ケルト人はそれを受け入れ、1人の殉教者も出なかったそうです。

一方、日本へ仏教が伝来したのは、その約百年後の538年、百済からとされています。それを推進したのは聖徳太子でした。日本人はケルト人同様、仏教の神である仏を神道の八百万(ヤオヨロズ)の神の一部として受け入れました。

(3) 輪廻転生

ケルト人には日本人と同じ、輪廻転生の思想があります。

ケルト文化では霊魂は不滅のものと考えられています。ケルトの神話では、人間が様々な動物に生まれ変わったり、神や妖精が人間と結婚したり、魂が絶えず流動している世界の捉え方をしています。そして、ケルト人はそれを渦巻き模様で表現しています。

(4) 渦巻き模様

ケルトにはこの写真にある渦巻き模様がありますが、日本の縄文土器の模様はこれによく似ています。

ケルトの渦巻き模様「トリスケル」
縄文土器

(5) 大陸の横の島国

このブログのPart 1、Part 3でも書かせて頂きましたが、イギリスのスコットランド、スペインのガリシア地方、フランスのブルターニュ地方、そしてアメリカ、カナダへ渡ったケルト人も大勢いますが、多くはまだアイルランドに住んでいます。

ユーラシア大陸の東と西の端にある2つの島国に、固有の文化が残っていて、その文化に不思議な共通点があるのは大変興味深いです。

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ケルト人とは?Part 4 (セント・パトリック・デー、緑の日)

昔、アメリカ出張中にホテルや会社のいたるところに緑の飾りつけがされたことがありました。それは3月でした。

3月17日はセント・パトリック・デーと呼ばれるアイルランド発祥のお祝いイベントであるということを、その時に初めて知りました。

セント・パトリック・デーは今ではアイルランドに加えて、アイルランド系移民の多いアメリカ、カナダ、オーストリアだけではなく、世界各地に広がりましたが、まだ日本では余り知られていないと思います。

世界中のこのイベントの熱狂振りをニュースで見た方もいらっしゃるかもしれません。

セント・パトリック・デーの由来を少し調べてみました。

西暦432年にアイルランドにキリスト教の宣教師が訪れ、カトリックを布教しました。

この宣教師の名前が後に聖人となったセント・パトリックです。ケルト系キリスト教の始祖といわれています。この方の功績を讃えて、制定されたのが3月17日です。

この日はセント・パトリックの命日で、アイルランドでは祝日になっています。

セント・パトリックは461年に他界するまで、アイルランド中を旅しながらキリスト教を広め、各地に修道院・学校・教会を建てました。

もともとセント・パトリックは「セント・パトリック・ブルー」と呼ばれる空色を使って描写されていたそうです。

しかし、アイルランドは緑多い風景から「エメラルド色の島」とも呼ばれていて、このお祭りではアイルランドのシンボルカラーである緑が後に使われる様になったそうです。

アイルランドに敬意を表して、緑を用いているのです。

セント・パトリックス・デーには、いたるところで三つ葉のクローバーをみます。

これは「シャムロック」と呼ばれるアイルランドの国花です。

又、セント・パトリックス・デーでは、緑色の帽子を被っている人をよく見かけます。

この帽子は、アイルランドの伝承に登場する妖精・レプラコーンがかぶっているものです。

もともとケルト人は多神教でしたが、セント・パトリックスによりキリスト教カトリック信徒となりました。

このお祭りはアイルランドに後から入ってきたキリスト教のお祭りであるにも関わらず、お祭りの色はアイルランドの緑、三つ葉のクローバーはアイルランドの国花、そして緑色の帽子はアイルランドの伝承の妖精がかぶっていたものであったというのは大変興味深いです。

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