ウィンストン・チャーチルの言葉

ウィンストン・チャーチルは第二次世界大戦中の1940年~1945年までイギリス首相を務め、他のヨーロッパ諸国がアドルフ・ヒトラーの手に落ちていく中、自国を守り抜いた不屈の男です。

この方が残した言葉の中で、特に私の心に残った言葉を5つご紹介します。

最初のフレーズは私が昔から使っている古い手帳の最後のページに残っていました。

Success is the ability to go from failure to failure without losing your enthusiasm.


成功とは、失敗を重ねても、やる気を失わないでいられる才能である。

A pessimist sees the difficulty in every opportunity; an optimist sees the opportunity in every difficulty.


悲観主義者はあらゆる機会の中に問題を見出す。楽観主義者はあらゆる問題の中に機会を見出す。

We make a living by what we get, but we make a life by what we give.


我々は得ることで生計を立て、与えることで生きがいを作る。

Success is not final, failure is not fatal: it is the courage to continue that counts.

成功があがりでもなければ、失敗が終わりでもない。肝心なのは、続ける勇気である。

Kites rise highest against the wind – not with it.

凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。

最初の2つのフレーズはチャーチルがいかに不屈の男であるか、そして楽観的な方であるかを表しています。

そして、3つ目のフレーズはliving、lifeという2つの英語の深い意味を改めて考えさせる名言だと思います。

意外に知られていないことですが、チャーチルは文学者でもあります。

『第二次世界大戦回想録』The Second World War (6巻,1948~54)という本を書いて1954年にノーベル文学賞を受賞しています。

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マハトマ・ガンジーの言葉

「マハトマ」は「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたガンジーの尊称です。

ガンジーは、貧困の緩和、女性の権利拡大、カースト制度の廃止など、様々な運動をインド全土で主導しました。

そして、インドをイギリスからの植民地支配から解放する為、非暴力・不服従の原則を徹底的に実行しました。

同時に数々の名言を残しています。

今日はマハトマ・ガンジーの特に私の心に残った言葉を3つご紹介します。

Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever.

明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。


Find purpose, the means will follow.

目的を見つけよ。手段は後からついてくる。


Satisfaction lies in the effort, not in the attainment, full effort is full victory.

充足は努力の中にある、結果にあるのではない。完全な努力が完全な勝利だ。

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マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの言葉

1963年のキング牧師の有名な演説 I have a dream. 「私には夢がある」は、当時広く共感を呼ぶました。

キング牧師の運動により米国内の世論も盛り上がりを見せ、1964年に公民権法が制定されました。

その運動の特徴は「非暴力主義」インド独立の父ガンジーに啓蒙され、一切抵抗しない非暴力を貫きました。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアといえば、1番有名な言葉は このI have a dreamですが、他にも様々な言葉も残しています。

特に私の心に響いた言葉を3つご紹介します。

Take the first step in faith. You don’t have to see the whole staircase, just take the first step.


「疑わずに最初の一段を登りなさい。階段のすべてが見えなくてもいい。とにかく最初の一歩を踏み出すのです」

We must accept finite disappointment, but never lose infinite hope.


「私たちは、限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない」

If you can’t fly then run, if you can’t run then walk, if you can’t walk then crawl, but whatever you do, you have to keep moving forward.

「もし飛べないなら走ればいい。走れないのなら歩けばいい。歩けないのであれば、這っていけばいい。何があっても前に進み続けなければならなのです」

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カナダ特集 Part 5 – ケベックの誇り

あまり馴染みのある方は少ないと思いますがこの写真はカナダケベック州の州旗です。

カナダの中でケベック州は少し複雑な州です。

何故複雑であるかについて、ご説明させていただきます。

カナダケベック州の車のナンバープレートの下の部分には必ず、フランス語でJe me souviensというフレーズが書かれています。皆さん、どういう意味だと思いますか?

Je me souviensの意味は”私は忘れない”です。

この言葉には非常に深い意味があります。

ジュムスヴィアンと読みますがこれはケベック州の公式モットーです。

何を忘れないかいうと、それはフランス語であり、フランス文化です。

カナダへ最初に植民したのはフランス人でした。しかし、その後、イギリス人とフランス人が戦争をして、イギリス人が勝ち、国全体を英語化する動きがありました。

誇り高いフランス人はそれを阻止して、カナダでは今でも英語とフランス語の両方が公用語として使われていて、カナダのお札の上にも英語とフランス語が併記されています。

私が丁度、カナダトロントにいた1994年はレファレンダムと呼ばれたケベック州住民の投票があり、独立反対51%、独立賛成49%でギリギリケベック州はカナダにとどまりました。

もし、ケベック州が独立していたらカナダという国は成り立たなくなっていたかもしれませんので1994年はカナダにとっては歴史的な年でした。

この様な歴史的背景もあり、カナダの首相は国民に話しかける時は英語の後で必ずフランス語でも同じ内容の話をします。

わたしの経験ではケベック州でもモントリオールの様な大都市では英語が通じますが、ケベック州の田舎へ行くと話されている言葉はフランス語だけで、英語は通じませんでした。

Je me souviensとは“私はフランス語、フランス文化を忘れません”という強いメッセージなのです。

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カナダ特集 Part 4 – カナダの歴史

15世紀に西欧史上でカナダを発見したとされるのが、イタリア人探索家のジョン・カボットとフランス人探索家のジャック・カルティエです。


16世紀になるとフランスが植民地・ヌーベルフランスを設立しますが、アメリカに植民地を広げていたイギリスとの対立が激化します。


対立の結果1763年のパリ条約によってイギリスの植民地として、約100年に渡りイギリスの支配下に置かれることとなります。

その後1885年に大陸横断鉄道が完成し現在のカナダが誕生します。


第一次世界大戦後には外交権が認められ、カナダとしての独立を果たしました。

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カナダ特集 Part 3 – カナダの時差

カナダ国内の時差は何時間でしょうか? 

アメリカとカナダでは日本と違い、国内に時差があります。アメリカには東部時間、中部時間、山岳部時間、太平洋時間の四つに加えて、アラスカ、ハワイ-アリューシャンはら時間があることは皆さんご存知の方も多いかと思います。 

ところで、カナダでは更に東に二つのTime Zoneがあることをご存知でしょうか?

カナダには東部時間より更に1時間早いノバスコシア州の大西洋時間更にそこから30分だけ早いニューファンドランド州時間があります。

したがってカナダの東の端と西の端には4.5時間の時差があります。

何故、ニューファウンドランド州は大西洋時間から0.5時間早く、東部時間から1.5時間早いという妙な刻んだ時間帯なのでしょうか? 

実は、この時間帯はかつてニューファンドランドがイギリス植民地であった頃の名残です。

1963年に州政府が他の大西洋諸州と同じ時間帯に移行する計画を立てましたが、住民からの強い反対があり断念したそうです。 

ニューファンドランド島、及びラブラドール地域はカナダでは最も若い領土です。

1949年までニューファンドランドはイギリス植民地で、独立国のように振る舞っていました。

この年、ケベック州の様に、住民投票が実施され、賛成50.50%、反対49.50%の僅差でカナダ加入が決まったそうです。

こういう経緯があり、この地に住む人々は独立心があり、大西洋時間から0.5時間早く、東部時間から1.5時間早いという時間帯にこだわっている様です。

カナダの島といえば日本人に一番馴染みがあるのは赤毛のアンのプリンスエドワード島ですね。

わたしは90年代にカナダに6年間住んでおりましたので、カナダ10州全てを訪問しましたが、一番東に位置するニューファンドランド島は日本では余り知られていませんが、カナダ最東端の島でカナダの手付かずの自然が見れる非常に美しい島です。

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カナダ特集 Part 2 – カナダの州名

カナダには10州と3準州があります。カナダでは先住民由来の州名はいくつあるでしょうか?

10州中、4州 オンタリオ州、ケベック州、マニトバ州、サスカチュワン州

3準州中、2準州 ユーコン準州、ヌナブト準州

半数近くが先住民由来の名前です。

カナダ最大の都市トロントのあるオンタリオ州の由来はネイティブのイロコワ族の言葉で、「美しい湖(水)」という意味があります。

オンタリオ州には湖がおよそ25万箇所、川は10万キロも広がっていますので、まさに「美しい湖(水)」の州です。

カナダの地図をご覧になるとよくわかりますが、オンタリオ州、ケベック州、マニトバ州、サスカチュワン州、ユーコン準州、ヌナブト準州を合わせた面積はカナダ全土の面積の50%以上を占めています。

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カナダ特集 Part 1 – カナダ英語

私はカナダトロントに1992年から1998年まで6年間住んでいました。

その時に見聞きしたことについて、以前書いたことを再編集してこのゴールデンウィークにこのブログに書かせて頂くことにしました。

ご興味のある方はどうぞ最後まで、ご覧下さい。

今回はまずは、アメリカ英語とカナダ英語の違いについてご紹介します。

カナダは英連邦の国ですが話される英語はむしろアメリカに近く、カナダとアメリカの英語の違いは限定的ですが、違いがあります。今日はその違いをご紹介します。

(1) 州名

カナダでは州のことをprovinceと呼びます。

アメリカのStateもカナダのProvinceも日本語にすると州ですが、初めて会うカナダ人にアメリカと間違えて

Which state are you from ?

どちらの州のご出身ですか?

と言ってしまうと少し不機嫌になるか、Stateではなく、Provinceですよ!と注意されます。気をつけましょう。

カナダ人の心の中では

“私はカナダ人よ、アメリカと一緒にしないで”

と言っています。

カナダの方はカナダ連邦に誇りを持っています。アメリカと一緒にされたくはないのです。

(2)末尾のer

例えば、アメリカではシテイセンターはCity Centerと綴りますが、カナダではCity Centreと綴ります。

(3)トイレの呼び方

アメリカでトイレをRest roomと言いますがカナダではWash roomと言います。

(4)カナダ方言

カナダの方言があるとしたら、それは1つ。

それはEh(エイと呼びます)です。

意味は – だね?と相手に共感を求める時に最後に添える言葉です。

90年代カナダに住んでいた時ある冬の朝、隣の住人が雪かきをしていて、わたしに話しかけてきました。外は摂氏マイナス15度です。

私が住んでいたカナダトロントでは1月、2月は摂氏マイナス15度がずっと1-2週間続くことも珍しくありません。

そんな寒い朝に、隣人のボブさんから出た言葉はこうです。

Cold Eh ? 

(今日は)寒いね ?

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ドイツ ミュンヘン訪問

11/13 – 11/16 ドイツミュンヘンを訪問しました。

昔のミュンヘンは城壁に囲まれていましたが、時代を経て解体され、現在は3つの城門だけが残っています。

「カールス門」が広場の東側に残っています。これがその写真です。私が訪れた時は夕暮れでしたが。大勢の方々が行き来していました。

ミュンヘンは約150万人のドイツ南東部最大の都市、バイエルン州の州都です。

ミュンヘンのあるバイエルン州はリヒテンシュタイン、オーストリア、チェコ共和国と国境を接するドイツ南東部の州です。

バイエルンの名前の由来はバイエルン王国です。バイエルン王国は非常に長い歴史があり、バイエルン公国を起源としています。19世紀初めから20世紀のドイツ革命まで存在したドイツ南部の王国で、ミュンヘンが首都でした。

私がデュッセルドルフで覚えたドイツ語「アルトシュタット Altstadt」(旧市街)の中心にあるマリエン広場には数多くの歴史的建造物があります。

この下の写真はマリエン広場にある市庁舎ですが、時計台の下に16 世紀の人形劇を再現する仕掛けがあります。

毎日午前11時と正午にこの人形たちが動くそうです。残念ながら、私はそれを見る時間はありませんでしたが。

こちらはその仕掛けの拡大写真です。

マリエン広場にはたくさんの人々が集まっていました。

これははマリエン広場近くの教会です。マリエン広場の喧騒とははまるで違う静寂な空間。

マリエン広場に赤いテントの下で何かを売っているお店が沢山ありました。なんだろうと覗いてみると栗(ドイツ語でMaroni)を売っていました。

まるで日本の天津甘栗の販売店舗の様でした。どうもドイツ人も栗が好きな様です。

11/15ミュンヘンの朝は寒く、気温は摂氏2度でした。

日本をヨーロッパの中に置いた面白い地図を見つけましたのでご紹介します。

改めてドイツの位置をこの地図で見ますと北海道の上です。スペイン、イタリア、ギリシャを除き、ヨーロッパの主な国々は日本より北にあることを改めて認識しました。

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ドイツ ケルン訪問

2022.11.12 ドイツのケルンを訪問しました。この町の名所は大聖堂とライン川に架かるホーエンツォレルン橋です。

ケルン大聖堂の中では美しいステンドグラスが見れます。

ホーエンツォレルン橋は1911年にライン川にかけられて以降、物資を輸送する上で重要な役割を果たしてきました。

しかし、第二次世界大戦時、連合国軍の進入を阻もうと、ドイツ軍が自身で爆破。一度は姿を消したが、その後、オリジナルに忠実に再建されました。

今はここは恋人たちにとっての名所であります。

彼らの目的は、「愛の南京錠」を欄干にかけること。互いの名前を記した南京錠をかけ永遠の愛を誓うそうです。

私がこの橋を訪れた時は南京錠をかけるカップルの風景は見れませんでしたが、橋の上にはものすごい数の二つの名前が書かれた南京錠がありました。

ホーエンツォレルン橋から見えるケルン大聖堂も素晴らしいです。

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